Friday, November 25, 2011

Email to my father on Aug. 8, 2011


俺が感じている国の違いのストレスというのは、俺の中でも何が原因なのか、そしてそれはなんなのか、今では曖昧になってきました。どこの国がいいという問題ではないようです。文化は関係していると思いますが、日常の生き方がもっと関わっている気がします。少し、学生と社会人との違いのようにも似ている気がします。日々気をつけていること、考えていること、目標としていること、大切にしていること。ドイツの学生と日本の学生にも違いはあります。国は関係せず、美大生と文系・理系の学生にも違いがあります。あらゆるところにそれぞれ違いがあります。俺はどこも真ん中に存在しており、そこでその場その場に合わすようではなく、自分の生き方を貫き通さなければいけません(と常々思っています)。ですが、その中で周りとのコミュニケーションがとても大切になってきます。学べることがやはりあるし、俺はその周りの環境で生活・制作している訳ですし、無視はできません。そういう中で、自分が根本的に「日本人」として自信持たずとも滲み出るような人間であれば、どこかもっと楽に生活、自己表現もできるのかなぁ、と思ったりします。俺から滲み出ているものは、果たしてなんなのか?ドイツ人にとっては、「日本人」として見られているのか?「日本人」からは、俺は同じ「日本人」として見られているのか?どんな経歴を持った人間でも同じなのかもしれませんが、「俺は誰なのだ」という質問があり、「日本人」と言えるだけでどれだけ存在を鮮明にできるのでしょう。
そういうこと考えず、ひたすら今まで生きてきた時間、生活、経験から生きたいように、自分自身そのままで生きていけばいいのでしょうかね。「村上亘」という人間をこれから日々、新しく発見・開拓していく。
ですが、知らない部分の日本。一般常識、マナーや考え方なども知るべきなんでしょう。ドイツもアメリカもカナダも。
そして最近よく気になっていて、聞くの忘れているんですが、俺の名前「亘」の由来は、「少年ケニア」でしたよね?もしもうちょっと理由みたいのあったら教えてください。なぜ「少年ケニア」の「村上ワタル」を選んだのか。そして「亘」という漢字の由来とは・・・。「少年ケニア」は漫画やアニメになったりとしているようで、一度読んでみようかと思っています。



バランスですね、俺もそれは最近気づくことがありました。いろいろな人と話していて、話し相手と自分はある天秤に乗っていて、多分その天秤は俺しか感じていないのでしょうか、どうにかその天秤を平行に保とうとします。その計りが何を基準にバランスを取るかは、その会話次第です。最近その天秤についてすごく気づかされたのは、精神的な要素です。精神的にとても弱っている、というよりすぐちょっと危ない考えへ走る人が何人かいて、そういう人たちと話しているとき、俺は自分の精神状態も少し下げて、それにより相手の精神状態をあげることができるようなバランス関係がある気がしました。下げるというのは多分、俺の中にある元気な部分を相手の器に渡すような感覚なんでしょう。そこらへんは、多分お父さんの言うリスペクトと似ているような気がします。

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