Thursday, February 16, 2012

Email between me and my father

全然平気です。クリティックにへこたれるようではこの世界ではやっていけません。理解しようと言う気持ちが大切です。そして逆に理解させようという気持ちも大切です。

まずは俺が彼女から連想される作家を少し紹介します:

川内倫子
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&hs=FhT&rls=org.mozilla:ja:official&q=%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%80%AB%E5%AD%90+%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%AD&revid=1544398568&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.,cf.osb&biw=1440&bih=747&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=dDA8T8SvApGg-Ab64aGtBw
佐内正志
http://www.sanaimasafumi.jp/shop_taisyo.html
ウォルフガング・ティルマンス
http://tillmans.co.uk/
ウィリアム・エゲルストン
http://www.egglestontrust.com/

こ のような作家たちは、日常(平凡だったり作家にとってのカルチャー(サブカルチャーとも言える)なものだったり)をカメラという機械を使って「素敵」に表 現しています。簡単に言うと。そしてこの「素敵」という感覚が残るのは、一時的なパフォーマンスと同じような感覚だと俺は思います。じっさいのディテール が頭に残りません。そしてなんでか実際にモノとして残らないような感じがします・・・。
写真は絵画よりは歴史は浅い(短い?)ですが、そこにはす でにそれなりの技術や世界があり、それを磨くことによってできあがる個性的なモノはあると思います。ビジュアル・アートとしては写真も絵画と同じで、構図や色彩な どの安定感・斬新さは絵画を長く見ていたり知っていると自然と身についていくものでもあると思います。

俺には「見ること」「知覚するこ と」「認知すること」など、ちょっと哲学や神経心理学的なことになってしまうかもしれませんが、そのような人の構図や機能などがどのようにできているのか というような提示が欲しいのです・・・。彼らのような作品を見ていても、そのような見解や分析はできるかもしれませんが、この「素敵」なことが俺にはそれ を邪魔します・・・。俺の写真も、たくさんの人から「ロマンチック」と言われますし、単純に「素敵だ」と言う人もいます。ですが、そこに絵画を使うことに よって、写真ネスと絵画ネスを曖昧にすると同時に、写真と絵画はどういうことなのだ、と言うことを見る人に考えさせたいと思っています。純粋に「見るこ と」「認知すること」を考えさせるために は、今の俺にとってはよく見るような典型的なヨーロッパの風景画が適していると思いました。一度はいつか過去にこのような風景を見たことがある。もしくは 想像したことがある。そのような連想を引き起こさせるためにも、このような典型的なヨーロッパの風景が適していると思います(ですが、決して俺は風景画を 特定な場所の風景としては撮影していません)。そしてそう比較的簡単に連想させることによって、見るものを絵の中へと引き込みます(簡単すぎるとすぐそっ ぽ向かれてしまいますが・・・)。絵の中に引き込むにはそれだけではなく、その四角い平面のなかで配置されてある構図にも注意を払っています。お父さんは まあ線が緩いと見えているのかもしれませんが、俺はできるだけ簡単で四角 い平面を何分割かに区切るような仕組みを作っています。視線の操作といいますか。そして、見るものをその絵へと引き込んだ後は、どこかおかしな部分がある という感覚を感じさせたいと思っています。それは絵画で作ります。例えば、写真と絵画を曖昧にするように絵の具を写真の上に塗ります。
写真とは何 か。絵画とは何か。写真を撮る行為は、カメラマンが実際目の前にしている風景を客観的にする行為だと思っています。そして絵画はその客観的な風景を再度主 観的なものへと作り出す行為であります。そこに「見ること」「認知すること」ということはどういうことなのか、と考えるヒントを見出すことができたらいい なと願って制作しています。真実や見方(それは認知の仕方だと思います)とは結局は己が作り出すもの・・・。それを写真と絵画で表現しようとしています。

最 近は新しいシリーズに挑戦してみようと下準備中です。突然パッと頭の中に浮かんだイメージとアイディアがあり、それをどう出力するかを試行錯誤していま す。それも「認知」と関連していると強く感じていますが、今回は風景画ではございません!ポートレイトになりますが、実際の人ではなく、白い胸上の人物像 を彫刻し、それを撮影しようかと思っています。俺が直感していることは、このシリーズはデッサンとどうも関係してくるのではないかということです。その彫 刻がよくデッサンの練習で使われるものに似ているし、それを照明を使って輪郭や影などに注意を払いながら撮影しようとかんがえているからです。現在はま ず、その頭に浮かんだイメージをスケッチしているのですが、どうもそのイ メージをそのまま出力しているだけで面白く感じません。やはり作りながらその実際のものにオーラを与え、モノとして磨いていく必要があるようです。




TASI Murakami  wrote:

構図の切り取り方がすごく適切な感じがします。
また写真がクリアですね。ピントがきちんと合っている、露出が正確だからかな。
カメラがいいのかもしれませんが、センスも研ぎ澄まされているのだと思います。
古い白黒の映画をTVで見ることがありますが、昔のカメラなのに線がクリアなのに驚かされます。
巻き尺で距離を測って撮影していましたが、それでもカメラマンによって大分違います。
セザンヌの絵がたまたま新聞に載っていましたが(マルデイ・グラという絵)、構図、人物の姿勢、線などが的確で存在感や体重を感じます。
買えるなら買いたい絵です。画家の名前を見る前に、目が行きましたからね。デッサン力かな。
歌で言うと発声や音階といった基本がしっかりしているということでしょう。
サッカーで言うと、どんな動きの中でも体のバランスがしっかり取れており、ボールはきちんと芯を蹴っているということか。
ああこれだな、この通りだなという安心感がありますよね。
亘の写真はよく言えばふんわり、悪く言えば線がぼやけている。
持ち味かもしれませんが、強さに欠けるといえるかも。
やっぱりプロは強さがないとね。人生を賭けているのだから。
市原織江さんはポップで長くは残らないかもしれませんが、プロの強さ、自分で勝負している迫力はあると思います。
財布のひもを緩めさせる力、でしょうか。
見る人は、作る人に敬意を抱いて財布のひもをほどくのだと思います。
今日はちょっと厳しかったかな。
----- Original Message -----
From: www
To:yyy
Cc: xxx
Sent: Wednesday, February 15, 2012 5:10 AM
Subject: Re:市原織江

う~ん。俺には日本っぽい写真のイメージはありますが、どちらかというと苦手かもしれません。どこかパフォーマンスの ような感覚を覚えます。俺が日本にいるときに大学の親友たちとパフォーマンス的なことをやりました。やっているときはとても楽しかったのですが、それ自体 はモノとして「残らないもの」でした。この写真を見ていると、どこかそのような感じがします。一枚一枚が残っているようではなく、雰囲気としてあるような 気がします。そして普通の写真や絵画、彫刻のように残す必要はないものなのかもしれません。
・・・でも、最近少し俺の感覚がズレているようなので、あたっているかは分かりません。最近はグリーンピースをペーストにしたスープを食べたとき、ブロッコリーの味を感じましたし、あとはハーブとリンゴの紅茶を飲んだとき、レモンティーだと思いました・・・。

TASI Murakami  wrote:

市原織江という写真家が少し評判になっています。
1978年生まれだから亘とあまり変わらないね。
Beautiful Daysという写真集が最近出て、Starbucksのイメージに使われているようです。
明るい透明感が最近の暗くなりがちな世相と対極で新鮮に見えますね。
それと、近からず遠からず、うまく切り取るものだなあ、と感心します。
http://www.matoipub.co.jp/

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